当方、WEB版、小説版、漫画版3巻まで、アニメ1期を読了の状態です。10話は疑問をおぼえる表現が多数あったので、感想を記しておきます。
- モモンガ玉が描かれていてよいのか?
ギルドの総意としてアインズが個人的に所有を認められているワールドアイテムである、通称モモンガ玉(腹部に宿されている赤玉)が、前半の、パンドラズアクターが化けているアインズにも描かれていた。個人的には、オーバーな言動とモモンガ玉の有無で、ニセモノであることを表現して欲しかった。代替品を格納しているのかもしれないが、そこまで考慮したうえでアニメ製作側が考えてくれていたかというと、そうではないと思っていて、ならば衣服で不自然に腹部を覆い隠す表現が最適かなと思った。ただし、作中のニセモノは眼光が意図的に消されており、眼光の有無という謎の表現方法でホンモノと区別できる工夫がされている。眼光は、人間の残滓を表しているというアニメの裏設定があるなら、まぁ納得できなくも無い。 - セバスの態度がふてぶてしい
そもそも、9話最後にソリュシャンがアインズの来訪を伝えた時点で、汗が噴出して絶望に打ちひしがれ、恐怖する表現を入れて欲しかった。10話最初でも、汗が噴出している表現が一度だけあるものの、その後は平然とした顔をしており、むしろ、ふてぶてしいとすら感じざるを得ない。ここは本来、心身ともに動揺・恐怖し切っており、全く心の余裕が無い表現でい続けなければならない。何故なら、対面するアインズが、パンドラズアクターが化けた姿であると気づかないほどに、判断力が低下していなければ説明がつかないからだ。NPCの忠誠心を表現する根幹にも関わってくる内容なので、ここは尺的にも絶対に手を抜いてはならなかった箇所。本当に残念と言わざるを得ない。 - ツアレを殺すときの逡巡が無い
たっち・みーに宿された「正義」に反するとも受け取れる自らの行動に対して、アインズの命とはいえ(再度、聞き返したとはいえ)全く迷う素振りがないのは本当に残念。淡々と拳を振るったように見える。心情表現は難しいにしても、表情や間で表現して欲しかった。 - 許しを受け取るセバスが自然すぎる
コキュートスに拳を受け止められた後、アインズに許されることに対して、セバスが自然に受け取りすぎている。迷いに迷った挙句、アインズの命令、ひいてはナザリックのためという姿勢を見せるために止む無く振るった拳を受け止められ、心身の余裕が無い中、やっと自らが「試されていたのだ」と気付くはずなのだが、むしろ、当然のことのように受け取っている。これは有り得ない話で、本当に残念。全体的に、アインズに対して淡々とし過ぎており、先述したふてぶてしいとも取られかねない態度は、視聴者に対してNPCの忠誠心を疑わせるミスリードになりかけない。 - セバスとツアレの会話は良い
その後、ツアレが自分の過去について語り、ナザリックに来ることを望むシーン。これは良い。ただ、ここに割く尺があるなら、先程のシーンに回して欲しい。セバスに対する愛情表現は、後の回でもフォローは間に合う。 - ツアレのメリットを淀みなく答えすぎ
コキュートスのリザードマン制圧に伴う敗北という失敗で、ナザリックの利益に対して自律的に動くことの大切さを説いたシーンに同席していないセバスは、この回答にたどり着くまで、考えに考え抜いている。アインズを前に表情が一切変わらないというのは、ちょっと無いかなと思い残念。 - ザナックの紅茶を通じてメイドの立ち位置を説明したのは良かった。
- 王宮でのザナック・レエブン・ラナーの会話シーンは良かった
気にはなっていた豹変後のラナーの表情も、口元だけとはいえ、アリだと思った。その後、クライムについて話をするときの目も程々で良かった。流石に、これ以上変えすぎても違和感だろう……。 - 「モモンガ」を愛するアルベド
小説版でも、この程度の説明しか無かったので、反目を疑わせるようなミスリードとも見える本シーンは、この程度の表現で丁度良かった。実態は、NPCとしてのアルベドに追記された、フレーバーテキストとしての「モモンガを愛している」に固執しており、アインズ・ウール・ゴウンの名を以って命じられることの感情的な違和感が表現されているのだと解釈している。そのため、アインズ・ウール・ゴウンのギルド旗が打ち捨てられており、更には、花嫁修業と称して、メイドたちにも一切自分の部屋に立ち入らせないのだから。まぁ、アインズを象った人形や抱き枕が大量に転がっていること自体も異様だが……。